「活きる」余華

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信じられないくらい悲しい出来事が続く話。特に終盤の追い込みが凄くて、一回目の感想ノートには「悲劇が詰め込まれ過ぎて頭も心も追いつかず逆に無感動になってしまった」と書いてある。(あと「鉄作るのなんで」とも書いてある笑)

 

2回読んで何かがじわじわと来て、映画見てあらやだ福貴素敵♡ってなり、そして映画の程よい悲劇の匙加減(本よりマイルド)にやっと心が追いついてこの世界に入り込めるようになり、その後3回目を読んだらもう福貴を他人とは思えないようななんだろう、好きとか嫌いとかじゃなくて、同志、みたいな…よう兄弟!みたいな親近感、もう家族みたいな気持ちに…(こんな兄弟要らないけど…)

 

この時代の中国では国の方針によって土地を取り上げられたり戻されたり、
放蕩三昧で地主から転落してもうおしまいだと思いきや共産主義の台頭によって迫害される地主を見て胸をなで下ろしたり、一寸先が見えない、自分の選択が正しいのか、今正しくても明日にはどうなるのか、誰にも正解がわからない日々。だからと言って考えずに生きることはできないし、その時の自分のベストを尽くすことは大事。でもその結果に一喜一憂しすぎたり、いつまでも拘泥したりするのは良くない、幸せはそこには無いよと福貴が教えてくれた気がする。

 

福貴はたしかに色々やらかしている。若い時の放蕩はもちろんその後も細かいところで短気や浅慮でやらかし続けている。
そしてそれを反省はするがそこまで後悔はしないし深く考えない。
と同時に彼は他の人のやらかしや理不尽に降りかかる悲劇に対してもあまり執着したり深く考えたりしない。その瞬間激高したり泣き叫んだりはするけど現実逃避や八つ当たりなどもせず粛々と対峙して受け入れていく。やけくそとか後ろ向きな諦念ではなく、風になびく柳のようにさらさらと色々受け流しつつ、その風をかき分けて淡々と前に進んでいく。福貴も熟慮の末やってるわけじゃなくて逆にこれ以外できないだけなので福貴がすごい人ということでは無いんだけど、なんだろう、普段選択肢として自分の中には無い(あってもできないが…)こういう生き方への畏敬の念みたいなものが湧く。

 

著者序文
「福貴の語りの中に他人の視点は必要ありません、必要なのは彼自身の実感であり、だからこそ彼は生き続けることを語るのです。」
「福貴は他人の目からすると苦難の人生を送っているが、福貴自身はむしろ幸福をより強く感じていると思うのだ」

 

福貴は幸せだったと私も思う。家珍も幸せだった。家族みんな幸せだったのだ。
この時代じゃなかったら、違う国だったら、他の人と結婚していたら、あの時これをしなければ、こうしていれば、そんな雑念は要らないのだ。
だってそれは手に取れないものだから。自分が生きたその瞬間瞬間を自分がどう感じていたか?それだけが全てなのだ。
俯瞰して、何かと比較して、幸不幸をジャッジするなんてほんと余計なお世話なのだ。誰も頼んでないのだ。放って置いて欲しいのだ。なんかバカボンのパパみたいになってきたけど、まさにそうなのだ。それでいいのだ。これでいいのだ。
バカボンのパパに「春生は悪くないのだ!」って言わせるとめっちゃしっくり来る)

 

アンタッチャブルの山崎っているじゃないですか(唐突)。昔TVで「収録でうまい返しができなかった時、後悔や反省でぐるぐる考えて眠れなくなるんだけど山崎はそんなんある?」と芸人仲間に聞かれて「後悔も反省もあるけど、考えて、こうすればよかったんだ!って思いついたら、次回そうすればいいし、思いつかなかったら、じゃあもう俺には無理なんだな!と割り切って次回はまたその時考えればいいし、どっちにしても寝る!」と言っていて「正しいな!」と思いました。そういうことなのだ!(どういうこと?)

 

過去を追うな。
未来を願うな。
過去はすでに捨てられた。
未来はまだやって来ない。
だから現在のことがらを、
現在においてよく観察し、
揺らぐことなく動ずることなく、
よく見きわめて実践すべし。
ただ今日なすべきことを熱心になせ。
誰か明日の死のあることを知らん。
(釈迦)

そういうことなのだ!()

 

この物語はこの世に生きるすべての人を、その人生を、その生きている一瞬一瞬を、肯定しているんだと思う。
泣いても笑っても悩んでも間違っても成功しても失敗してもその人が生きているその瞬間はその人にとってかけがえのないものだし、その積み重ねが本人の中に幸せを形作っていくものだから、自分でも目に見える完成形の幸せなんてないし、まして他人に評価されるべきもんでもないと、承認欲求にまみれ自分の人生に他人の視点を入れ過ぎて溺れかけている私達に教えてくれている気がする。

 

こんなに悲しい話なのに、読み終わった時に何かこう朝焼けの中でそよそよと風に吹かれているみたいなうっすらとした幸福感が胸に残るのは、そのおおらかで揺るがない肯定感を私たちがこの本から無意識に受け取っているからだと思う。そしてそれが、この本が世界中で読まれ続けている理由なんじゃないだろうか。

 

ほんとすごく良かったんだけどなにがどうと言われると言葉にするのがとても難しい本だったのでこれが私の精一杯。出会えて良かった。読めて良かった。