バタフライエフェクト ビートルズとロックの革命

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レッドツェッペリンピンクフロイド、スティングなどなど(音楽疎いので知らないけど名前だけ書いてる笑)、名だたるミュージシャン達がみんなビートルズの曲を聴き稲妻に打たれたようにロックに目覚め、人生を捧げていくエピソードの数々は、ものごころついたときには当たり前のようにこういった音楽が溢れていた私には「そんなに?!」という驚きで、私は今まで彼らの曲とその他大勢のミュージシャン達の曲を並列に捉えて、そこまで突出した何かを感じてこなかったんだけど、そういうことじゃないんだな、ビートルズの凄さと言うのは音楽自体というより(それももちろんあるけど)、それ以前にはなかったものを丸ごと新しく生み出した凄さということなのだなと理解した。

 

「私が17歳でニューキャッスルからロンドンへ出てきた1963年、ビートルズはShe Loves Youを発表し、世の中は突然 可能性に満ちて輝き始めた。戦後の禁欲的な空気が一変した。徴兵制も終わり、初めて若者が自分の人生を自分で決められるようになったんだ。」(ニック・コーン:作家)

 

「初めてビートルズを聴いたのは、中学生の時だった。水泳プールの更衣室に居た。友人とお互いの下半身をタオルでバシバシ叩いてふざけていた。部屋の隅のラジオからLove me doが流れてきた途端、僕らはバカ騒ぎをやめた。それは革命的とさえ言える、刺激的な体験だった。」(スティング)

 

繁華街のライブハウスで酒やたばこを飲みながら汚い格好で演奏していたビートルズを見て可能性を感じ、スーツを着せ、髪型を変えて、お辞儀をさせ、人気を爆発させた同じ街でレコード屋を経営していたブライアン・エプスタインの慧眼も素晴らしい。こういう出会いもすごいよね。

 

労働者階級だった彼らの活躍でイギリスでは階級社会に風穴があき、
1960年代という人種差別真っ只中のアメリカでの公演では有色人種用の席を設けることを断固拒否、地元の白人たちの反発を受けながらも決行し、2万人以上の黒人白人が一緒に熱狂するコンサートとなった。また年上の作曲家作詞家の作る歌を歌うだけだった当時の若いミュージシャン達を自分たちで歌を書いていいんだ、身の回りのこと、自分の感情を歌っていいんだと解放し、社会主義国家とその属国達には自由の風を感じさせ民主化の契機にすらなっていく。すごい・・・

 

「人種隔離なんて下らない。黒人だって他の人たちと何も違わないじゃないか。彼らを動物か何かだと勘違いしている人たちがいるよね?人間を動物扱いするなんてバカみたいだ。僕は自分の隣に誰が座ったってかまわない。僕らは四人ともそう思っている。イギリス人はみなそう考えているし、コンサートでも人種隔離なんてしない。そんなことをするなら僕らは演奏しない。」(ポール 1964年)

 

ジョンレノンは自分たちが何かを変えたのではない、先導したのでもない、みんなと同じ船の見張り台に立って「陸地が見えるぞ!」と叫んだだけだと言うが、自分がその船に乗っていることも、船が動いていることも、ましてやどこに向かっているかもわからない人々にとっては、やはりその叫びはすごい大事な、有難い啓示だったんだと思う。

 

戦後の空気の中でとりあえず国に従い、何をしてよくて何をしたらいけないのかを考える自由もないような感じで日々受け身で生きていた人々に、下らない既成概念は壊していいんだよ、新しい考えを持っていいんだよ、楽しいことはたくさんあるよと旗を振ってくれたってことだろうな。

 

イギリスでは1960年時点で21歳以下から兵役免除となり、その時ジョンレノン20歳、ポール18歳、ジョージ17歳。ここで兵役に取られていれば各地バラバラに配属され出会うことすらなかっただろうというのも、ほんと自分達ではコントロールできない部分での運命を感じる。

 

ジョン・レノンの言葉
僕が気に入らなかったのは、僕たちが何かをリードしているという主張だった。
60年代は”新しい世界を発見しに行く船”だった。
そしてビートルズはその船の見張り台に立っていただけだ。
僕たちは「Land Ho!おーい陸地だぞ!」と叫んだ。それだけだ。
僕たちが何に貢献して何に貢献しなかったか僕にはわからない。
人それぞれビートルズから受けた影響の度合いは違うだろうしね。
言えるのは、僕たちの世代が全員で60年代という船に乗り、
新しい世界へ行ったということだ。