「居るのはつらいよ」 東畑開人

まず1回目読んで私は軽くキレました。「はあ?」ってなりました。私はこの本を心理学的なケアとかセラピーについて「現場を熟知した専門家が書いた入門書」的な位置付けで読み出したので、おちゃらけた文章で時系列もむちゃくちゃに右往左往して客観的に整理するどころか誰よりも迷走して自分の職場をディスリまくる内容についていけずなんなんだなんなんだと戸惑いつつ読み終えて「はあ?」でした笑 でも所々気になるポイントはあり、それで終わりにするのがもったいなくて「著者が綺麗に整理した内容を教えてもらおう」から「著者と一緒にこの現場から何を学べるか」に視点を変えて2読目トライしたら臨場感半端なく面白く読めて勉強になった。1回で諦めなくてよかったー。


専門的な知識や経験に基づく行為とその成果の因果関係が分かり易い一般的な労働に対して、障害者施設や学校、保育園などでの労働は「依存労働」と定義され作業それ自体の質が問われるというよりは簡単な作業・行為の積み重ねでじわじわとその場に生まれてくるものや、その場の存続を成果とするので労働と成果の因果関係が分かりにくく、行っている作業の単純さ故に評価されにくいというのは、全ての労働をなんとなく同列にしか認識してなかった私には目からウロコだった。そのためそういった依存労働は低賃金になってしまいその業界がブラック化しやすいというのは言われてみれば当然の帰結だけど衝撃的で、上手くいってる時はその貢献は気付かれにくく、欠けたり不足したりしたりしてその場に影響が出だして初めて認識される黒子のような存在であるからこそ、その貢献は社会が「あえて意識して」評価していくべきと思う。が、この問題も依存労働それ自体と同じようにみんなに気づかれにくく、故に社会としてそこを解決する道筋が遠すぎるなと…辛い気持ちになった。

あと依存労働の成果「親密なもの同士の絆を維持し、あるいはそれ自体が親密さや信頼、すなわちつながりをつくりだす」について語られるくだりの中で、ユングの「傷ついた治療者」理論による治療者と患者の深層心理が治療の中で逆転し癒しと癒されが絡まり合っていくという話や、依存労働の現場ではその場にいる人々の行為の能動受動が曖昧になり、原因と結果も分かち難く混じり合い、その混沌の中から成果が「生じる」と國分功一郎の「中動態」を引いた解説も面白かった。

多分何かの書評で「現場を熟知した~」みたいなのを見て先入観を持っちゃったんだと思うけど、聖なるズーもそうだったように(あれも現役の学者が書いてノンフィクション賞とか取ってたので客観的で整理された研究結果を読めると思ったらブレブレで迷走してておいおいと思ったけど著者の心の旅と思ったら貴重な読書体験になった)その本の宣伝とか書評とかに惑わされずに白紙の心で本と向き合わなきゃいけないなと改めて思いました。